17-3 対立解決5ステップ⑤:根深いしこりを解消する「感情的な傷の癒し方」
夫婦やカップルで一度でも大きな議論をしたことがある人なら、その対立が解決した後も、なぜか心にもやもやとした「しこり」が残ってしまった経験はないでしょうか。問題そのものは片付いたはずなのに、ふとした瞬間に相手の言葉が思い出されて傷ついたり、逆に自分が相手を傷つけてしまった罪悪感に苛まれたり。
高名な心理学者ジョン・ゴットマン博士の研究によれば、これは**「感情的な傷(Emotional Injury)」**と呼ばれる、対立が残した心の傷跡です。小説家ウィリアム・フォークナーが「過去は決して死なない。過ぎ去りさえしない」と書いたように、この傷を放置すると、それは決して過去のものにはならず、現在の関係性に静かに、しかし確実に影響を与え続けます。
この記事では、ゴットマン博士が提唱する「七つの原則」の中から、解決可能な問題に取り組むための最終ステップである「感情的な傷の処理」に焦点を当て、根深いしこりを解消し、より強い絆を築くための心理学的なアプローチを具体的に解説していきます。
癒されない傷が関係を蝕むメカニズム
夫婦間の対立において重要なのは、**「何を」議論したか以上に、「どのように」**議論したか、という点です。たとえ問題が解決しても、その過程で相手から非難されたり、自分の気持ちをないがしろにされたりした経験は、心の傷として残ります。
この傷が厄介なのは、それが「地雷」のように機能し始めるからです。心理学的に見ると、一度強いストレスや苦痛を感じると、脳の扁桃体(危険を察知する部分)が過敏になり、次に似たような状況に陥ったとき、たとえ些細なことであっても過剰な防衛反応や攻撃性を引き起こしやすくなります。これが、同じようなことで何度も喧嘩が再燃する原因の一つです。
この傷を癒すための大前提は、**「対立の中に、絶対的な正義も、完全な悪者もいない」**と理解することです。ゴットマン博士は、夫婦の間に存在する現実は、常に二つの「主観的な現実」であると述べています。目的は、どちらが正しかったかを証明する裁判ではなく、お互いの主観的な現実、つまり「相手がなぜそのように感じ、そのように行動したのか」を、共感をもって理解することにあります。
ゴットマン・メソッド流「心のしこり」解消法
では、具体的にどのようにして過去の傷を癒せばよいのでしょうか。ゴットマン博士が開発した「過去の感情的な傷を処理するエクササイズ」を、5つのステップに分けてご紹介します。これは、二人で冷静に話せる時間を確保し、じっくりと取り組むことが重要です。
ステップ1:振り返る「出来事」を一つ決める
まず、過去に起きた対立の中で、今は二人とも少し距離を置いて話せるようになった「出来事(インシデント)」を一つだけ選びます。そして、一人が「話し手」、もう一人が「聞き手」となり、聞き手は話し手が話し終わるまで、絶対に口を挟まないというルールを徹底します。
ステップ2:「あの時、どう感じていたか」を共有する
話し手は、その出来事の間、自分が何を感じていたかを正直に打ち明けます。この時、相手の行動ではなく、自分の「感情」にのみ焦点を当てることが極めて重要です。
- 〇 良い例:「あの時、私はとても孤独だった」「見捨てられたように感じて、悲しかった」「自分が無力だと感じた」
- × 悪い例:「あなたが私を無視したから、私は悲しかったんだ」(これは相手への非難であり、相手は防御的になります)
ゴットマン博士の著書には、「見捨てられた」「批判された」「無力な」「罪悪感」「絶望」など、40以上の感情のリストが挙げられています。自分の感情を正確に言葉にすることが、癒しの第一歩となります。
ステップ3:「なぜそう感じたか」と「本当のニーズ」を伝える
次に、なぜそのように感じたのかを、自分の主観的な視点から説明します。そして、最も大切なこととして、**「あの時、本当は何を必要としていたか」**を伝えます。
- 〇 良い例:「あなたの意見に反論された時、私は自分の意見が価値のないものだと言われたように感じて、本当は少しでいいから『君の気持ちもわかるよ』と肯定してほしかったんだ」
- × 悪い例:「あなたがもっとちゃんと聞いてくれれば、こんなことにはならなかった」(これも相手への非難です)
「ただ話を聞いてほしかった」「味方でいてほしかった」「尊重されていると感じたかった」など、自分の本当のニーズを伝えることで、相手は次にどうすれば良いのかを具体的に理解できるようになります。
ステップ4:「引き金(トリガー)」の背景を探る
私たちの強い感情的な反応の多くは、その場の出来事だけでなく、過去の経験、特に幼少期に形成された**「根深い脆弱性」**に根差しています。なぜ自分は特定の言動にこれほどまでに心をかき乱されるのか、その「引き金(トリガー)」の背景にある物語をパートナーに共有しましょう。
例えば、ゴットマン博士のカウンセリングでは、幼い頃に親から育児放棄された経験を持つ人が、パートナーが仕事に没頭する姿を見ただけで、強い孤独感や見捨てられる恐怖を感じてしまうというケースがあります。
この背景を共有することで、パートナーは「彼はただ仕事をしているだけなのに、なぜ彼女はあんなに怒るんだ?」という誤解から、「そっか、彼女にとって一人の時間は、見捨てられる恐怖と繋がっているんだな」という深いレベルでの共感と理解へと移行できるのです。
ステップ5:自分の役割を認め、謝罪し、未来へ繋げる
対立は、どちらか一方だけが100%悪いということはほとんどありません。このステップでは、冷静に当時を振り返り、自分にも何らかの役割があったことを認め、それを相手に伝えます。
- 〇 良い例:「私もあの時はストレスでイライラしていて、君にきつく当たってしまった」「君が話している時、ちゃんと聞く余裕がなかったんだ」
そして、具体的な後悔の気持ちと共に、**「ごめんなさい」と明確に謝罪します。**ゴットマン博士は、心からの謝罪が関係において持つ「魔法のような力」を強調しています。
最後に、お互いが謝罪を受け入れたら、「これから同じようなことが起きないように、私にできることは何かな?」「あなたにできることは何かな?」と、未来に向けた建設的な話し合いで締めくくります。
このプロセスは、決してどちらかを裁くためのものではありません。お互いの心の奥深くにある主観的な世界を探検し、理解し、共感することで、過去の痛みを乗り越えるためのものです。そうして癒された「感情的な傷」は、もはや関係を脅かす地雷ではなく、むしろ二人の絆の深さを示す勲章へと変わっていくことでしょう。
まとめ
- 対立後の「感情的な傷」は放置すると関係に影響を与え続ける
- 目的は「どちらが正しいか」ではなく「相手の主観的現実」の理解
- 5つのステップで過去の傷を癒し、絆を深めよう
- 自分の「感情」と「本当のニーズ」を言語化することが癒しの第一歩
- 心からの謝罪は関係における「魔法のような力」を持つ
参考文献
“The Seven Principles for Making Marriage Work”, John M. Gottman, Ph.D., 1999
更新日: 2026年1月7日


